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Z世代憧れの存在 “石川翔鈴” 10代最後に語る「優等生キャラ」から「ありのままの私」へ

高校生による青春恋愛リアリティーショーABEMA『今日、好きになりました。』に出演し、若い世代を中心にSNSやCM等で人気を集める石川翔鈴

20歳を目前に控える彼女が、10代最後の姿を表現すべく、自身はじめてとなる写真集「KAREN」(玄光社)を発売。
地元・北海道の札幌、旭川、室蘭などで撮影し、ありのままの姿や大人っぽいランジェリー姿など、19歳の今をぎゅっと詰め込んだ写真集になっています。

今回は、そんな石川翔鈴とプラチナムプロダクションに所属した当時から担当する野村Mgにもインタビューを敢行。

家族総出で上京し、それでもなかなか実らずもがき苦しんだ芸能活動の日々や、プラチナムプロダクションに入るきっかけ、そして、写真集の裏話などをお伺いしました。

石川 翔鈴(いしかわ かれん)

2003年3月28日生まれ、北海道出身。
ABEMA恋愛リアリティーショー『今日、好きになりました。』を機に大ブレイク。インフルエンサー、モデルとして若い世代から熱い注目を集めるほか、ドラマ『警視庁・捜査一課長season6』(2022年/EX)、『卒業式に、神谷詩子がいない』(2022年/NTV) に出演するなどZ世代注目の若手女優。

自分の芸能活動のために、家族みんなで上京。しかし、努力がなかなか実らずもがく日々が続いた


──写真集『KAREN』発売おめでとうございます!まず、石川翔鈴さんのこれまでの経歴からお伺いしていきたいのですが、翔鈴さんは北海道から上京されたんですよね?どんなきっかけで東京に出てきたのでしょうか?

石川:私はもともと北海道で芸能活動をしていて、地元の芸能事務所に入っていたんです。そこではいろいろな機会をいただいてローカル企業のCMに出させていただいたり、大きな事務所に送り出そうという機会も作っていただきました。
ただ、大きな仕事をしたり、東京の事務所に所属しようという際に、交通の便やコストを理由に断られてしまうことも多くて、とても悔しい思いをしていたんです。

そんな私を見兼ねて、母親から「家族みんなで東京に行こう」と提案されて。中学校1年生の終わりごろに家族みんなで上京してきたんです。

──翔鈴さんの芸能活動のために家族総出で上京してくるというのはお母様のすごい気合を感じますね。そのとき翔鈴さんはどういう気持ちだったのでしょうか?

石川:最初は今まで悔しい思いをしてきた分「見返してやろう」という気持ちだったのですが、東京行きが決まった後は生まれ育った場所を離れる寂しさや、「本当にやっていけるんだろうか……」という不安も次第に芽生えてきましたね。


石川:でも、母は仕事を辞めて、新しく東京の仕事を探してくれて、兄は私の気持ちを汲み取って関東の学校の入試を受けてくれて。そんな家族のためにも頑張ろうという気持ちで、上京してからはフリーのタレントとして1年間で100個以上のオーディションを受けたと思います。毎日ネットで番組のオーディション情報を調べて、オーディション雑誌も買って、片っ端から連絡していましたね。

事務所も大手の事務所含め、いろんな事務所に応募していたのですが、全然ダメで……。

──100個以上!? 頑張っているのになかなかその努力が実らないのはとても苦しいですよね……。

石川:そうですね……。そんな日々が中学校3年生あたりまで続き、進路を決めなければならない時期だったので、芸能活動は中断し、受験に専念して、高校に入学したらその後の進路を決めていこうということにしました。家族が私のためにいろいろ犠牲にしてくれた分、せめて高校はいいところに入ろうという思いがありましたね。ただ、それでも芸能の道は諦めてはいませんでした。

「磨けば光るものを感じた」プラチナムプロダクション所属当時から担当するマネージャーが語る、石川翔鈴

──そこからプラチナムプロダクションに所属するのには、どういった経緯があったのでしょうか?

石川:高校1年生の冬ごろですかね、日まで覚えていて、12月27日でした。友だちと原宿の竹下通りに遊びにいっていて、その日は雨が降っていて、それでもコロナ前ということもあり、竹下通りは人混みがすごかったんです。そんな人混みの中で突然スカウトの方から声をかけられて、最初はめっちゃ怪しくて、無視しようとしたんです(笑)。

でもやっぱり怪しかったので、家に一度帰って、電話番号が実在するのか、URLが本物なのかとかを母親と調べましたね(笑)。

──最初は半信半疑だったんですね(笑)。

石川:だって、びっくりするじゃないですか。東京のこともよくわからないし……(笑)。でもスカウトが本当だとわかって、普段テレビで活躍されている方々がたくさん所属している事務所なんだ、ということを知りました。そのあとは所属できるかどうか、実際に面談しにいって、今横にいる野村Mgにお話を聞いてもらいました。

▲写真左:当時から知る野村マネージャー


──せっかくですので、今回は野村Mgにもご登場いただき、その当時のお話ができればと思います。翔鈴さんからみて野村Mgは最初どんな方だったのでしょうか?

石川:今でこそすごく仲良くさせていただいてますけど、最初はめっちゃ怖かったですよ(笑)。

野村Mg:事務所のメディアでそんなこと言って大丈夫かな……(笑)。

石川:いい意味なので大丈夫です!(笑)怖かったというのは、ニコニコするわけじゃなくて、私がこの事務所に相応しいかっていうのをすごい真剣に見られていたからです。だから事務所に採用されたときは自分が認められた感じがして、とても嬉しかったですよ。今は野村Mgに新しく買ったLINEスタンプを自慢するっていう、くだらないLINEをとにかく送りつけたりしてます(笑)。

──野村Mgからみて、当時の翔鈴さんはどんなイメージでしたか?

野村Mg:本人に何度か言ってるんですけど、「北海道産の芋」って感じでしたね。まだすごい輝きがあるわけではないけど、磨けば光るものを感じたというか。やはり幼少期から芸能をしていたということもあり、早い段階からプラチナムの戦力になりそうだと思い、採用させていただきました。

どの仕事に起用しても、自信を持って「大丈夫です」と言える。仕事に熱い思いを持ち、感受性が豊かな一面も


──野村Mgの中で、どのように翔鈴さんを育てていくか、戦略はありましたか?

野村Mg:そうですね。僕がみている他のタレントもそうなんですが、最初はその方に合うオーディションを案内しながら、広告やドラマに出てもらって、芸能とはどういう場所なのか学んでもらっていましたね。

ただ、石川の場合はすでに芸歴もあるし、どこかでガツンと有名にならなければならないと思っていて、ちょうどそんなときに恋愛リアリティショーのオーディションの案内がありました。

──なるほど。恋愛リアリティショーは若手タレントの登竜門になっていますもんね。

野村Mg:そうですね。最初はオーディションに誰を推薦するか、僕の中でも葛藤がありましたね。恋愛リアリティショーってキャラがすでに立っていて、どちらかといえばギャルっぽい子の方がハマりやすいんじゃないかなという考えが当時の自分の中でありました。石川は優等生で、真面目で、クールな女の子という印象を持ってもらうことが多く、恋愛リアリティショーにそういったキャラが合うのかどうかが正直わかりませんでした。でも、あえて逆を行ってみるのも面白いかもしれないと思い番組に出演させたら、北海道産の芋が一気に輝き出したんです。

石川:「北海道産の芋」ってよく言いますよね……(笑)。でも恋愛リアリティショーで私みたく優等生キャラが貴重なのか、上手く差別化できていたんだと思いますね。それまではちょっとギャルっぽくて明るい髪に憧れはあったんですが、黒髪か茶髪のロングという野村Mgの言いつけもあってか(笑)、決まったお仕事は多いと思います。


──なるほど。優等生で、真面目で、クールな印象にみられるというお話がありましたが、デビューから担当する野村Mgからみて、実際の翔鈴さんはどういう方なのでしょうか?

野村Mg:真面目というのはもちろん合っていると思いますが、近くで見ていると、感受性が豊かで熱い子だと思いますね。というのも仕事の大小関わらず、どの仕事にもちゃんと気持ちが入っているんですよね。他のタレントももちろん気持ちを入れていると思いますが、例えば石川の場合、CM撮影の終わりに1日一緒だったスタッフさんへの感謝で、すぐ目をウルウルさせちゃったりして。その感受性を上手く利用したドッキリ企画も立てたりしましたね(笑)。

▲野村Mgが仕掛けたドッキリ企画。YouTubeチャンネル「Five emotion」メンバーにマネージャー辞めるって言ったらどうする??【ドッキリ】


野村Mg:真面目で熱い気持ちを持っている子なので、何か仕事を任せる側としても信用できますね。この子を起用してもらうことに自信を持って「大丈夫です」と言えます。

19歳の今をぎゅっと詰め込んだ、ありのままの石川翔鈴を収めた1st写真集『KAREN』

©佐藤佑一/©玄光社


──ここからは10月31日に発売した写真集『KAREN』についてもお聞きしたいと思います。はじめての写真集ということでさまざまな思いがあるかと思いますが、どのような写真集になりましたか?

石川:帯に「19歳の今をぎゅっと詰め込んだ」と書いてる通り、19歳の私を、背伸びすることなく、ありのままに詰め込んだ写真集になっていると思います。すべて地元の北海道で撮ってきたのですが、地元というのも相まって、リラックスした雰囲気で、スタッフさんたちと会話しながら楽しんでいる様子をそのままカメラに収めてもらいました。

©佐藤佑一/©玄光社


──地元を巡ってその様子を写真に収めたということで、思い出深い場所も多かったのではないでしょうか?

石川:札幌の狸小路とかは、もう引っ越す直前まで友達と遊んでいた場所だったので、すごい感慨深かったですね。狸小路は長い商店街なんですが、ごはん屋さんも、ドン・キホーテも、カラオケもあって、1日中遊べる場所なんです。でも久しぶりに行ったら、「ここは昔このお店があったのに今違うんだ」というところも多くて、懐かしさも感じつつ、ちょっと浦島太郎気分というか不思議な感覚もありましたね。


──久しぶりに地元に帰ると街の移り変わりに驚くことも多いですよね。

石川:そうですね。あと印象に残っている撮影場所でいうと、旭山動物園です!私ペンギンが好きで、今回の写真集でもペンギンと同じ角度を向いているカットを撮ったんですが、親に聞いたら、小さい頃もペンギンが好きだったみたいで。全然覚えていないんですが、母親いわく、一度ペンギンの行進に付いていって、私まで行進しちゃってたときがあったらしいです(笑)。

©佐藤佑一/©玄光社

▲石川翔鈴オフショット


──かわいいエピソードですね(笑)。お母様からみても、感慨深い写真集になっているんですね。

石川:そうですね。この写真集が出たタイミングで、札幌でお渡し会をやったんですが、父親が自分の会社の社長さんとか同僚を連れて来てくれたんですよ!しかも何も言わずに……(笑)。あれは本当にびっくりしましたね。母親はそのあとに札幌に来てくれて、父親の車の中で初めて写真集を見てくれたみたいなんですけど、車で号泣してひどかったそうです。

©佐藤佑一/©玄光社

自分の殻を破るきっかけになった写真集に。20歳は新しい扉を開いていきたい


──大人になった翔鈴さんが地元で過ごしている風景をみて、グッときたんでしょうね。家族の愛を感じるエピソードありがとうございます。野村Mgは今回の撮影に同行されていかがでしたか?

野村Mg:札幌、旭川、美瑛、室蘭と北海道のいろんなスポットを巡ったんですが、とにかくご飯をめっちゃ食べましたね。北海道って本当に美味しいものばかりなので、最高でしたね。

石川:写真集のこと言わないんだ(笑)。でもたしかに、写真集の撮影までは結構体を絞ったりしてましたが、行ってから我慢したくないというので、今回の3泊4日でとにかく食べましたよね(笑)。海鮮を食べて、ジンギスカンを食べて、北海道の焼き鳥チェーン店「串鳥」も行って、あ、シメパフェも食べました! 

▲石川翔鈴オフショット


──シメパフェって北海道の方よく言いますよね。飲んだ後にパフェを食べるそうですね。

石川:そうなんです!私、北海道出身なのに中学校までしかいなかったからシメパフェを食べたことがなくて、まだお酒は飲めないんですが、ちょっと大人になった気分でシメパフェを食べさせてもらいました。ふわふわの綿あめみたいなのが乗っていて、すごく美味しかったです!

野村Mg:石川が推してた、セイコーマートのカツ丼食べれなかったのが残念だったなあ。次行ったときは絶対食べたい……。

石川:めっちゃもったいない!!セイコーマートっていう北海道のコンビニチェーンなんですが、そんなコンビニですら食べ物のクオリティがめっちゃ高いんですよ。ポテトとかもすごい甘いんですから!

──北海道の食べ物の話もたくさん聞きたいですが、そろそろインタビューもシメましょう……(笑)。最後にプラチナムタイムズを見ている読者の方に向けて一言お願いします。

石川:そうですね。この写真集を見ていただいた方から、「もっと好きになった」とか「素の翔鈴ちゃんをみてもっと深く知れた気がする」とか、プラスの言葉をいただくことが多くて、すごく嬉かったんですよね。

それまでメディアに出させていただくときは「ちゃんとしなきゃ」と思って頑張っていたんですけど、ありのままの自分も初めてさらけ出して、それを好きって言ってくれた人がいて、自信に繋がりました。今までランジェリーの撮影とかも避けてきたんですが、初めて挑戦してみようと思えて、一歩踏み出せたというか。


石川:自分の殻を破るきっかけになった写真集になりました。なので、もうすぐ20歳になる新しい石川翔鈴の一面も見つけていただきたいですし、自分自身も新しい扉を開けて、もっと前に進んでいきたいと思います!

©佐藤佑一/©玄光社


【石川翔鈴 写真集情報】
■タイトル:KAREN
■発売日 :2022年10月31日(月)
■発売元 :玄光社

<購入フォームはこちら>
https://www.genkosha.co.jp/gmook/?p=29593

【取材・撮影】
高山諒(プラチナムタイムズ編集部)